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休みの日は図書館に

独りの時間の確保

岡山に転居から新たな生活スタイルを試行錯誤する中、私は敢えて家内に対し、この「お願い」を申し出ていました。
「月に2回、休日の半日を図書館で過ごさせて欲しい」。
難色こそ示さぬ家内でしたが、当然その理由を尋ねて来ました。
遊び盛りの我が子は喘息の持病故、同世代の友達と同様に屋外を元気に駆け回る事も叶いませんから、私達両親は休日の貴重な遊び相手すなわち「友達の役割」も担っています。

決して休日も医療業界関連の調べ物に没頭したい、そこまでストイックなライフスタイルを追求したい訳ではありません。
独りの時間(※敢えて「1人」ではなく「独り」と記載します)を確保したい。
一応理解を示してくれた家内でしたが、その表情は心底承服しているとは当然言えない、顔面の筋肉を無理矢理動員した「わかった」でした。

全てに自然体で対峙するために

これは必ずしもい病院勤務に限らぬ事、重々承知していますが、どの職場も多かれ少なかれ、在勤時間はストレスとの対峙タイムに他なりません。
病院の場合、患者さんは当然の事、ご家族も大きな不安の中、その矛先がこちらに向けられる場面は少なくありません。
ご本人もご家族も理不尽を口にされていると重々承知されていて、その表情には申し訳無さが漂っていますが、それでも我慢出来ないお気持ち、痛い程理解出来るのもまた病院勤務者なのです。

そんな方々が求めているのは、決して医学的に理詰めの説得でも無ければ、全てを単に受け止めて「はいはい、それで気が済みましたか」的なスルーでもありません。
何か安心出来る、何か共感出来る、そして自分達にも素直に理解出来る、そんな「人から人への優しい一言」なのです。

元来読書好きの私、医療機器の営業マン時代は常に鞄の中に1~2冊忍ばせ、移動中の電車や喫茶店での一息タイムを読書タイムに充当していました。
ですが病院勤務となり、そうした時間は当然勤務中に確保出来る筈も無く、程無く「読書欠乏症」的な不機嫌モードを自覚していたのも事実でした。
ならば図書館で自身の満たされぬ想いをクリアしつつ、何か患者さんやそのご家族にお話出来るヒントとなる一言に遭遇出来ないか、そんな「探求タイム」としても活かせないかと考えたのです。

小さなお子様の入院患者さんには、面白そうで生きる勇気が湧いて来そうな情報を提供出来ますし、その他患者さんとの雑談などから察せられる情報をヒントに、読書の話題は無難なコミュニケーション手段としても有効です。
勿論私自身の「気づき」に繋がる書物との出会いも楽しみですから、休日月に2度、半日の図書館通いを家族の理解に甘える形で続けさせて貰っています。

子どもの喘息の療養で引っ越しました

突然の事態

我が子の喘息の兆候に気付いたのは、幼稚園卒園が近づき、新入学のランドセルも家内の実家から届き、カウントダウンに心ウキウキ感が盛り上がりを見せるお正月明けでした。
最初は風邪が長引いているのかと捉えていましたが、何やら咳き込み方がそれまでとは違い、何より本人が相当苦しそうなのが心配でした。
当時は医療機器の営業マンでしたから、出入り先の病院の医師にそれとなく尋ねたところ、すかさず「喘息の症状の可能性が高いので、それを想定してキチンと検査を受けなさい」との助言が返って来ました。
喘息は突発的に発症するリスクが存在する事、一旦発症すると中長期的に上手に付き合って行かねばならぬ事、何より汚れた空気が大敵である事など、一応の予備知識は職業上有していましたので、自分なりに冷静に事態を捉える事が出来ました。

診察の結果は悪い方の想定通りで、担当医からは間髪置かず、新鮮な空気環境での静養を強く薦められました。
子供からすれば卒園間近で、仲良しのお友達と一緒に小学校に通う事を楽しみにしていた訳ですから、どうやって本人に状況を理解させれば良いのか、夫婦揃って随分悩みました。
それでも時は待ってくれませんし、ズルズルと先延ばしは出来ません。
妻子だけを家内の実家に預かって貰い、私1人東京に単身残って仕事を続けて仕送りするのか、家族全員で東京を引き払うのか、日々我が子の喘息が落ち着き寝入ってくれた後も、深夜まで討議を重ねる毎日でした。

やっはり家族は一緒がベスト

そして導き出した結論が、家族全員での岡山郊外すなわち現在の住居への転居でした。
我が子には理解不能な寂しい思いをさせてしまい、本当に胸が張り裂ける程の思いを私達も共有する事となりましたが、早い段階で完治から、その後の長い人生を健康に生き続けさせるのが両親の責務です。
周囲からすれば突発的に東京を逃げ出したかの如く映っていたかも知れませんが、あれこれ考え込んでしまう時間を自分達に与えぬよう、超特急で強引に転居準備を進めました。

退社手続きから残務処理、新居探し、岡山での通院療養先との連携など、家内には本当に大きな負担を掛けてしまいましたが、本当によくやってくれたと感謝しています。
あのドタバタ劇から幾つもの季節を数え、着実に我が子の喘息の症状も快方に向かっています。
こうして病院勤務を通じて大きな気づきにも遭遇出来まそいた。
公私を通じ、過ぎてしまえば「結果オーライ」だと捉えています。

言葉に慣れるのに時間かかりました

家内の言ってた事をようやく実感

虫眼鏡で読む東京生まれ東京育ちで他の地域での生活を知らぬまま、この年齢になって初めての見知らぬ土地への転居を経験する事となりましたが、何より高く感じられたのが「言葉の壁」でした。
いわゆる岡山弁は決して乱暴なイントネーションでは無い事、今でこそ理解出来ていますが、当初の私には何だか語尾を「言い放っている」「吐き捨てている」風に聴こえてしまい、常に怒られている印象が拭えませんでした。
例えば広島寄りの地域では「ダメ」を「いけん」と表現するらしく、この「けん」の部分にアクセントがかかると、強く咎められている印象を越え、叱りつけられている感が否めなかったのです。
女性が男性に対し「○○君、いけ~んっ」と甘える風に言っていたとしても、私には何やら喧嘩している風にしか届いて来ませんでした。

こうした言葉の壁が相手に伝える印象、それは岡山の方々が私に抱く印象にも共通して当然です。
西日本の人達からすれば、東京弁は時に「気取っている」「鼻に付く」と感じられる事、予備知識として知っていましたが、数十年話し聞き続けた口調やイントネーションはどうしようもありません。
失礼が無いようにと極力丁寧に語り掛ければ「何だかよそよそしい感じ」だと受け取られ、親しみを込めて話し掛ければ今度は「偉そうに」「自分の事を何様だと思ってるんだ」と受け取られてるように思え、無口になってしまう自分に戸惑うばかりでした。

岡山出身の家内がずっと前に零していた事が「これだったのか」とようやく理解出来ました。
地方から東京に出て来た人達は、誰もが一時期無口になってしまう、そんな話も私にとっては単なる都市伝説に過ぎなかったのですが、それが大きな間違いだと痛感させられました。
「どうすれば上手に自分の居場所を与えて貰えるのだろう」と、普段小さな事には悩まない私でしたが、この時ばかりは独り内心深刻でした。

時間が解決

それでも日々の暮らしは待ってはくれません。
職場や近所の方々は直ぐに、私が東京出身である事をごく自然に許容してくださり、何よりそこは大人と大人のスタンスですから、私の東京弁が人間関係に悪影響を及ぼす場面、自身が知る限りでは生じる事はありませんでした。
そして何より、人間は程無く環境に順応する生物である事を、他ならぬ私が実感する事となりました。

転居から数ヶ月、久々に東京時代の旧友と電話で話した際、こんな指摘を受けたのです。
「オマエ何だか言葉のアクセントが変だぞ!?今のその『いけ~ん』って何だよ?どこに行けないのかちゃんと説明しろよ!」。
勿論受話器の向こうは含み笑いでした。

そんな友人との会話を傍で聴いていた家内から、こんな一言が。
「私も東京に住んで数ヶ月後には、ごく自然に『○○しちゃったァ!』とか言ってたわよ」。
それより何より、子供は何でも素早く吸収する乾いたスポンジですし、気づけば家内はすっかり岡山弁にりターン。

世帯主 岡山弁は 最後尾
何とも締まらぬ五・七・五ですが、現在はこんな感じです。