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久しぶりに家族で出かけてきました

倉敷に行きたいと

幸い凌ぎやすい好天に恵まれた先日、家族揃って久々の外出を楽しんで来ました。
行き先は倉敷。
子供が退屈しないかとの不安がゼロだった理由、それは何より本人が「連れて行って欲しい」と家内に頼み込んだ経緯故でした。
どうやらクラスメートが「楽しかった」と教室内で自慢気に話していたらしく、それが引き金になっていたみたいです。

今回は敢えて電車を乗り継ぎ、岡山駅経由で倉敷を目指しました。
普段はどうしても車移動が主体になってしまうライフスタイルですので、私自身にとっても新鮮でした。
何より子供は皆、電車が大好き。
東京暮らしの頃には思いもつきませんでしたが、岡山郊外の子供達にとっては、電車に乗るのは私達の想像を遥かに超えた「一大イベント」らしいのです。

おかりなにハマる予感?

定番のアイビースクエアから川が流れる美観地区の定番スポットを抑えるコース、地ビールを堪能出来たのも電車で来たからこそ。
時間を外した昼食は、昔ながらのアーケード街で偶然見つけた鉄板焼き屋さんに飛び込んだのですが、これが大当たりでした。
気さくなマスターが優しく話し掛けてくれ、普段は食が細い我が子が「こんなに食べて大丈夫かな?」と首を傾げる程、何度も「美味しい!」を繰り返していました。

その後敢えて地図と睨めっこせずに歩を進めていると、小さなおかりな専門店に遭遇しました。
年配の女性がお1人で営んでおられ、長いお付き合いの職人さんの手作りのおかりなをズラリと並べておられました。
遠い昔親に買ってもらった学習雑誌の付録に、プラスチック製のおかりなが付いていた事もあり、ドレミファぐらいは何とか吹ける私。
焼き物のおかりなは結構値段が張りましたが、子供用と合計2つ衝動買いしてしまいました。

振り返れば私自身が1番はしゃいでいたみたいです。
呆れもせず笑顔で付き合ってくれた家族のためにも、この日のリフレッシュで蓄えたエネルギーをフル稼働で、また頑張らねばっ!

院内暴力の問題

一概に病院側だけを責められぬ自身が

最初に強く念押しから話を始めさせていただきます。
病院内に於ける病院関係者が患者に対し暴力を振るう行為は、一切の言い訳の余地が見当たらぬ断罪です。
ですが真逆すなわち患者から病院関係者への暴力が確かに存在している事実に関しては、殆どのメディアが意図的にスルーしているとしか、私には言えないのも確固たる事実です。
院内暴力とはそれほどまでに繊細かつ深刻な問題である事を、冒頭で今一度繰り返し、以下に話を続けさせていただきます。

各メディアが大衆に伝える院内暴力の原因の大半は、病院関係者のストレス発散、あるいは言葉では言う事を聞いて貰えぬ果ての実力行使のエスカレートなど、いずれも病院関係者側の「プロ失格の衝動的愚行」とされています。
これは間違いない事実でしょうし、健康面でも体力面でも劣る患者さんに対し、暴力という手段で心身に苦痛を与える行為は、医療とは真逆の愚行であり、医療機関という看板を掲げる資格すら見当たりません。
ですが全てが病院側の人間の一方的かつ短絡的な感情の爆発ばかりとは言えない現実、決して同じ病院関係者としての弁護では無く、ぜひ冷静に受け止めていただければ幸いです。

患者からの腕力以外の暴力の存在

病気に心身を冒されれば、自制心が正常に働かず、いわゆる子供帰りを更に超越した言動に及ぶのは、患者さんの状態からすればある意味仕方無い状況だと、私達病院関係者側には「受け止める度量」が求められます。
ですが明らかに常軌を逸したレベルの患者さんの暴言暴挙に悩まされる病院関係者側の苦労に対し、理解や同意こそ求めませんが、その現状をぜひ冷静に知っていただきたいのです。
若い看護師に対する極端なセクハラ、明らかに一線を越えた暴言、更には医療施術中に暴れ出し、患者さん自身のみならず医師や看護師にも危害が懸念される程の状況など、決して「でっちあげ」では無いのも医療現場のシビアな現状なのです。

多くの医療機関ではこうしたリスク対策として、有事には病院側の判断で患者の身体を固定(=縛りつける)、あるいは鎮静剤などを投与する旨を同意書に明記し、家族の理解を求める事で自衛に努めています。
それでも患者さんの想定外の暴言暴挙に際しては、何より患者さんの健康と安全を守るべく、病院関係者側が咄嗟に腕力を用いざるを得ない場面もまた、皆無とは言えないのです。

語れば語る程、堂々巡りが続くばかりですので、最後にもう1度。
院内暴力は断じて許される行為ではありませんが、止む無く病院関係者が患者さんを「腕力で制御する事で安全と健康を確保する行為」に関しては、院内暴力とは分けて捉えていただければ幸いです。

仕事のこと

最初は異業種を視野に

子供の喘息静養のための東京から岡山移住に際し、私自身は内心「これをキッカケに全てをリセットしてやろう」と、全てを前向きに捉えていたのは紛れもない事実でした。
根が楽天家の私に対し、極めて慎重派の家内は何よりも経済面の負担を口にしていましたが、幸い住宅ローンを抱えるでも無い賃貸マンション住まいでしたから、身軽な居住地移動でした。
どうせなら少々収入がダウンしても、これまでのキャリアや資格などを再就職活動の武器にするのではなく、私自身が興味を抱く事が出来る異業種にチャレンジするのも一案だと、そんなふうに捉えていました。

ですが妻子を抱えてそれなりの年齢での転職、まして大都会東京都は比較にならぬ程限られた求人告知数を目の前に、自分は20代の若者では無い事を痛感させられ、軌道修正を余儀なく迫られました。
そんなタイミングで偶然目にしたのが、現在の病院勤務の中途採用告知だったのです。

嫌な部分も熟知の上で

それまでの自分にとっての病院側の人達は、大切な顧客であると同時に、時にストレスの原因となる存在であったのも紛れもない事実です。
ビジネス上の力関係は圧倒的に病院側が優位ですから、自社製品の購入契約を交わしていただくべく、それ相応以上の苦労と我慢の連続だった訳ですから、自分が180度反対の立ち位置で仕事をする姿、容易に想像出来なかったのです。
かつての自分の立場の営業マンに対し、無理難題をふっかけている自身の姿、あるいは仲良くなった病院関係者が零していた職場の不満や疑問や理不尽など、それらを思い起こせば腰が退けるのも当然でした。

それでも結局応募したのも、採用から今日まで私なりに必死にしがみついているのも、やはり何より家族を養って行かねばならない責任感故の踏ん張りです。
それと同時に、実際に病院勤務を続ける中で日々膨らむ、このブログを開設するキッカケとなった「医療の地方格差の深刻な現実を何とかしたい」という思い、これも無視出来ません。
必要に迫られて限られた選択肢の中から縁があった病院勤務、実はようやく巡り合えた「為すべき使命のオプション付きの転職なのかも?」と感じ始めています。