川崎医科大、鉄分を運ぶタンパク質を特定

病院の廊下

画期的な成果のお話

人体模型ここでは少し専門的なお話におつきあいいただきたいと思います。
決して専門学的な内容では無く、私達の身体のメカニズムに関し、少しでも興味を抱いていただく事が、医療に頼り切りでは無く、ご自身で健康維持に努めていただくキッカケになれば幸いです。
更には医療の世界に興味をお持ちいただき、看護師など現場に携わる将来を視野に入れてくださる、そんな方々の登場に繋がれば、これ以上の喜びはありません。

今回は「体内で鉄分を運ぶタンパク質が特定された」というニュースを、私なりに噛み砕いてお届けします。
川崎医科大学の教授や講師が構成する研究グループが、私達人間の細胞内に鉄分を運ぶ役割を担うタンパク質の特定に成功したのです。
鉄分は私達の生命維持に不可欠な重要な成分である事こそ以前から判明していましたが、その具体的なメカニズムに関しては未解明でした。

皆さんも子供の頃、時にご両親から、あるいは保健体育の授業を通じ、摂取すべき各種栄養素の中に「鉄」が存在している事を学んだ記憶をお持ちでしょう。
学校の給食の献立表に円グラフが添えられており、全体に対しては少量でも「鉄分」が記載されていた事も、記憶の中に残っているかと思います。
普段は意識しない存在の鉄分ですが、例えば血液の味を思い出していただければ、私達の体内に鉄分が存在する事は明確であり、極めて重要な成分である事も否定出来ません。
そんな鉄分に関する画期的な発見を、日本の医療チームが為し得た訳ですから、医療業界に携わる私個人としても、内心誇らしい限りです。

鉄分が関連する病気治療に活かす

鉄分は私達の生命維持に不可欠な酸素を全身に運搬したり、細胞内で新たなエネルギーを生じさせる役割を担っています。
鉄分不足が貧血に繋がる事は、多くの皆さんも既にご存知の通りですが、反対に過剰に摂取すれば癌細胞の増殖に繋がるリスクも背中合わせであり、適量の継続摂取が大切な成分です。
これまでの研究成果として、タンパク質が鉄分の細胞内への摂取に大きく関わっている事は判明していましたが、細胞内にどのように運搬されるのかに関しては、そのメカニズムは特定されていませんでした。

ここからは医療の専門的な内容になりますが、今回の解明を為し得たチームのメンバーは、このメカニズムを更に研究し、鉄が関係する病気の発症抑制や治療に役立てられるのではと、その可能性に大きな期待を抱いています。
この研究成果はイギリスの生物科学雑誌にも掲載されており、世界レベルで注目を集めています。
私達が日常的にごく当たり前に利用している医療機関の舞台裏では、こうしたたゆまぬ研究が重ねられ、新たな発見を更に突き詰める作業が継続されている事を、ぜひこの機会に知っておいてください。
また研究職に興味がある人、より分野を追求したい医療従事者は研究職への何歳からでも遅くはありません。

病気の治療の幅を広げるのは、現場の手腕だけではなく、開発技術の躍進にかかっています。

言葉に慣れるのに時間かかりました

家内の言ってた事をようやく実感

虫眼鏡で読む東京生まれ東京育ちで他の地域での生活を知らぬまま、この年齢になって初めての見知らぬ土地への転居を経験する事となりましたが、何より高く感じられたのが「言葉の壁」でした。
いわゆる岡山弁は決して乱暴なイントネーションでは無い事、今でこそ理解出来ていますが、当初の私には何だか語尾を「言い放っている」「吐き捨てている」風に聴こえてしまい、常に怒られている印象が拭えませんでした。
例えば広島寄りの地域では「ダメ」を「いけん」と表現するらしく、この「けん」の部分にアクセントがかかると、強く咎められている印象を越え、叱りつけられている感が否めなかったのです。
女性が男性に対し「○○君、いけ~んっ」と甘える風に言っていたとしても、私には何やら喧嘩している風にしか届いて来ませんでした。

こうした言葉の壁が相手に伝える印象、それは岡山の方々が私に抱く印象にも共通して当然です。
西日本の人達からすれば、東京弁は時に「気取っている」「鼻に付く」と感じられる事、予備知識として知っていましたが、数十年話し聞き続けた口調やイントネーションはどうしようもありません。
失礼が無いようにと極力丁寧に語り掛ければ「何だかよそよそしい感じ」だと受け取られ、親しみを込めて話し掛ければ今度は「偉そうに」「自分の事を何様だと思ってるんだ」と受け取られてるように思え、無口になってしまう自分に戸惑うばかりでした。

岡山出身の家内がずっと前に零していた事が「これだったのか」とようやく理解出来ました。
地方から東京に出て来た人達は、誰もが一時期無口になってしまう、そんな話も私にとっては単なる都市伝説に過ぎなかったのですが、それが大きな間違いだと痛感させられました。
「どうすれば上手に自分の居場所を与えて貰えるのだろう」と、普段小さな事には悩まない私でしたが、この時ばかりは独り内心深刻でした。

時間が解決

それでも日々の暮らしは待ってはくれません。
職場や近所の方々は直ぐに、私が東京出身である事をごく自然に許容してくださり、何よりそこは大人と大人のスタンスですから、私の東京弁が人間関係に悪影響を及ぼす場面、自身が知る限りでは生じる事はありませんでした。
そして何より、人間は程無く環境に順応する生物である事を、他ならぬ私が実感する事となりました。

転居から数ヶ月、久々に東京時代の旧友と電話で話した際、こんな指摘を受けたのです。
「オマエ何だか言葉のアクセントが変だぞ!?今のその『いけ~ん』って何だよ?どこに行けないのかちゃんと説明しろよ!」。
勿論受話器の向こうは含み笑いでした。

そんな友人との会話を傍で聴いていた家内から、こんな一言が。
「私も東京に住んで数ヶ月後には、ごく自然に『○○しちゃったァ!』とか言ってたわよ」。
それより何より、子供は何でも素早く吸収する乾いたスポンジですし、気づけば家内はすっかり岡山弁にりターン。

世帯主 岡山弁は 最後尾
何とも締まらぬ五・七・五ですが、現在はこんな感じです。

家族のこと

現在なら大問題?

家族の影ここでは家族に関する事を、綴れる範囲で記してみたいと思います。
まずは私の製造元(笑)である、我が両親に関してサラリと。

父親は警察官一筋37年から定年後いわゆる「天下り」で民間某企業に再就職するも水が合わず、1年と持たずに退職から、程無く鬼籍に入りました。
警察官と聞けば多くの方々が堅物(カタブツ)を連想しますが、実際には亀有公園前派出所には遠く及ばずとも、楽しい人達は数え切れません。
但し父に関しては警察官の中でも突出した「融通が効かぬ堅物の王者」だったのは想像通りで、もう時効のこんな出来事がそれを証明しています。

若き日にノーヘルでミニバイクに跨り、坂道で左側から覆面パトを追い抜いた私は次の瞬間、当然一瞬で免許停止のお裁きを頂戴しました。
「見事過ぎるゾ」と呆れ顔の巡査さんに免許証を差し出したところ、何やら様子がおかしい。
当然ピン!と来た私は「堅物のオヤジがご迷惑掛けていませんか?杓子定規な事言っては独りで怒鳴るばかりで煙たいでしょ?」と一気に伝えました。
するとその巡査さん、急に姿勢を正して検挙した私に対し「と、とんでもありませんっ。き、厳しくご指導いただいてますっ!」って。

母はそんな父を「意味不明な小型瞬間湯沸かし器」と称して呆れ諦め顔。
幼い頃も何が気に喰わないのか、突然一本背負いで玄関から外に放り出されるなど茶飯事。
泣きじゃくりながら母親に父の怒りの理由を尋ねても、毎回答えは必ず「わからん」の一言。
大阪の吉本新喜劇が新宿の高層ビルの裏側で、日々リアルに上演されていた事、当時のご近所の方々は日々S席観賞でした。

男は父の反対側に札を張る生き物

タイトルの通り、一応家庭を構え世帯主となり、一児の父親となった私、子供にはとにかく甘い(苦笑)。
ちなみに家内は最初の職場の同期入社の女性ですが、独身時代に特に「つきあってください」とか「結婚してください」とか、どちらも口にした覚えがありません。
私と同じ気持ちの方のブログも見つけましたので、合わせてご紹介します。
>> はじめまして|子供に甘いパパのブログ

気づけば互いに心地良い距離感でそれぞれが生きている中、気づけば一緒に暮らし始めていた・・・決して気取る訳でも何でもなく、これが本当のところです。
意外とこんな夫婦って沢山いらっしゃるかと思ったりもしますが、皆さんはどうでしょうか?

数年前に岡山に転居以来、家内の実家にもホントに良くして貰い、頭が上がりません。
ちなみに家内の実家、何と寺院で義父は僧侶で、現在は長男に住職の座を譲り、それでも悠々自適とは行かぬらしく、大切な法要では大きな身体で読経に講和に勤めておられます。
決して大きくは無い寺院ですが、やはり最初に訪れた時には随分面喰いました。
敷地内に墓石が並び、壁からパンチパーマの仏さんの首がニョッキリ出ている訳ですから、薄気味悪いやら笑ってしまいそうになるやら、真面目な表情を保つのが大変でした。

そんなごく平凡な、その限りでもなさそうな人達との、偶然と必然のご縁に恵まれ、地球上のみならず宇宙でおそらく1番平和で豊かなこの国に、五体満足な人間男子として命を授かった私です。
これ以上の幸運など何も考えられない環境下、大切な家族を守るべく、世帯主として父親として為すべき事、それは「与えられ恵まれた仕事に邁進」に他なりません。
何やら最後は超真面目モードで纏めてしまいましたが、偽らざる気持ちです。