仕事のこと

最初は異業種を視野に

子供の喘息静養のための東京から岡山移住に際し、私自身は内心「これをキッカケに全てをリセットしてやろう」と、全てを前向きに捉えていたのは紛れもない事実でした。
根が楽天家の私に対し、極めて慎重派の家内は何よりも経済面の負担を口にしていましたが、幸い住宅ローンを抱えるでも無い賃貸マンション住まいでしたから、身軽な居住地移動でした。
どうせなら少々収入がダウンしても、これまでのキャリアや資格などを再就職活動の武器にするのではなく、私自身が興味を抱く事が出来る異業種にチャレンジするのも一案だと、そんなふうに捉えていました。

ですが妻子を抱えてそれなりの年齢での転職、まして大都会東京都は比較にならぬ程限られた求人告知数を目の前に、自分は20代の若者では無い事を痛感させられ、軌道修正を余儀なく迫られました。
そんなタイミングで偶然目にしたのが、現在の病院勤務の中途採用告知だったのです。

嫌な部分も熟知の上で

それまでの自分にとっての病院側の人達は、大切な顧客であると同時に、時にストレスの原因となる存在であったのも紛れもない事実です。
ビジネス上の力関係は圧倒的に病院側が優位ですから、自社製品の購入契約を交わしていただくべく、それ相応以上の苦労と我慢の連続だった訳ですから、自分が180度反対の立ち位置で仕事をする姿、容易に想像出来なかったのです。
かつての自分の立場の営業マンに対し、無理難題をふっかけている自身の姿、あるいは仲良くなった病院関係者が零していた職場の不満や疑問や理不尽など、それらを思い起こせば腰が退けるのも当然でした。

それでも結局応募したのも、採用から今日まで私なりに必死にしがみついているのも、やはり何より家族を養って行かねばならない責任感故の踏ん張りです。
それと同時に、実際に病院勤務を続ける中で日々膨らむ、このブログを開設するキッカケとなった「医療の地方格差の深刻な現実を何とかしたい」という思い、これも無視出来ません。
必要に迫られて限られた選択肢の中から縁があった病院勤務、実はようやく巡り合えた「為すべき使命のオプション付きの転職なのかも?」と感じ始めています。

休みの日は図書館に

独りの時間の確保

岡山に転居から新たな生活スタイルを試行錯誤する中、私は敢えて家内に対し、この「お願い」を申し出ていました。
「月に2回、休日の半日を図書館で過ごさせて欲しい」。
難色こそ示さぬ家内でしたが、当然その理由を尋ねて来ました。
遊び盛りの我が子は喘息の持病故、同世代の友達と同様に屋外を元気に駆け回る事も叶いませんから、私達両親は休日の貴重な遊び相手すなわち「友達の役割」も担っています。

決して休日も医療業界関連の調べ物に没頭したい、そこまでストイックなライフスタイルを追求したい訳ではありません。
独りの時間(※敢えて「1人」ではなく「独り」と記載します)を確保したい。
一応理解を示してくれた家内でしたが、その表情は心底承服しているとは当然言えない、顔面の筋肉を無理矢理動員した「わかった」でした。

全てに自然体で対峙するために

これは必ずしもい病院勤務に限らぬ事、重々承知していますが、どの職場も多かれ少なかれ、在勤時間はストレスとの対峙タイムに他なりません。
病院の場合、患者さんは当然の事、ご家族も大きな不安の中、その矛先がこちらに向けられる場面は少なくありません。
ご本人もご家族も理不尽を口にされていると重々承知されていて、その表情には申し訳無さが漂っていますが、それでも我慢出来ないお気持ち、痛い程理解出来るのもまた病院勤務者なのです。

そんな方々が求めているのは、決して医学的に理詰めの説得でも無ければ、全てを単に受け止めて「はいはい、それで気が済みましたか」的なスルーでもありません。
何か安心出来る、何か共感出来る、そして自分達にも素直に理解出来る、そんな「人から人への優しい一言」なのです。

元来読書好きの私、医療機器の営業マン時代は常に鞄の中に1~2冊忍ばせ、移動中の電車や喫茶店での一息タイムを読書タイムに充当していました。
ですが病院勤務となり、そうした時間は当然勤務中に確保出来る筈も無く、程無く「読書欠乏症」的な不機嫌モードを自覚していたのも事実でした。
ならば図書館で自身の満たされぬ想いをクリアしつつ、何か患者さんやそのご家族にお話出来るヒントとなる一言に遭遇出来ないか、そんな「探求タイム」としても活かせないかと考えたのです。

小さなお子様の入院患者さんには、面白そうで生きる勇気が湧いて来そうな情報を提供出来ますし、その他患者さんとの雑談などから察せられる情報をヒントに、読書の話題は無難なコミュニケーション手段としても有効です。
勿論私自身の「気づき」に繋がる書物との出会いも楽しみですから、休日月に2度、半日の図書館通いを家族の理解に甘える形で続けさせて貰っています。

子どもの喘息の療養で引っ越しました

突然の事態

我が子の喘息の兆候に気付いたのは、幼稚園卒園が近づき、新入学のランドセルも家内の実家から届き、カウントダウンに心ウキウキ感が盛り上がりを見せるお正月明けでした。
最初は風邪が長引いているのかと捉えていましたが、何やら咳き込み方がそれまでとは違い、何より本人が相当苦しそうなのが心配でした。
当時は医療機器の営業マンでしたから、出入り先の病院の医師にそれとなく尋ねたところ、すかさず「喘息の症状の可能性が高いので、それを想定してキチンと検査を受けなさい」との助言が返って来ました。
喘息は突発的に発症するリスクが存在する事、一旦発症すると中長期的に上手に付き合って行かねばならぬ事、何より汚れた空気が大敵である事など、一応の予備知識は職業上有していましたので、自分なりに冷静に事態を捉える事が出来ました。

診察の結果は悪い方の想定通りで、担当医からは間髪置かず、新鮮な空気環境での静養を強く薦められました。
子供からすれば卒園間近で、仲良しのお友達と一緒に小学校に通う事を楽しみにしていた訳ですから、どうやって本人に状況を理解させれば良いのか、夫婦揃って随分悩みました。
それでも時は待ってくれませんし、ズルズルと先延ばしは出来ません。
妻子だけを家内の実家に預かって貰い、私1人東京に単身残って仕事を続けて仕送りするのか、家族全員で東京を引き払うのか、日々我が子の喘息が落ち着き寝入ってくれた後も、深夜まで討議を重ねる毎日でした。

やっはり家族は一緒がベスト

そして導き出した結論が、家族全員での岡山郊外すなわち現在の住居への転居でした。
我が子には理解不能な寂しい思いをさせてしまい、本当に胸が張り裂ける程の思いを私達も共有する事となりましたが、早い段階で完治から、その後の長い人生を健康に生き続けさせるのが両親の責務です。
周囲からすれば突発的に東京を逃げ出したかの如く映っていたかも知れませんが、あれこれ考え込んでしまう時間を自分達に与えぬよう、超特急で強引に転居準備を進めました。

退社手続きから残務処理、新居探し、岡山での通院療養先との連携など、家内には本当に大きな負担を掛けてしまいましたが、本当によくやってくれたと感謝しています。
あのドタバタ劇から幾つもの季節を数え、着実に我が子の喘息の症状も快方に向かっています。
こうして病院勤務を通じて大きな気づきにも遭遇出来まそいた。
公私を通じ、過ぎてしまえば「結果オーライ」だと捉えています。