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  2. 医療格差の問題

都道府県独自の医師確保対策

理想論と現実のギャップ

手術で使う機材慢性的な医師不足、看護師不足に関しては、以前から国も現場も重大な危機感を抱き続けています。
当然一刻も早い現状改善を目指し、さまざまな改善案が議論され、具体的な対策も協議から打ち出されていますが、悲しいかな「机上の理想論止まり」なのが現実です。
現状の分析から数値などを細かく弾き出し、そこから「このような対策を講じれば数値的にこれだけ改善出来る計算になる」との理論だけが続々と挙げられるも、それが現実離れしているのです。

いわゆる上層部とされる方々からすれば、議論から結論を導き出したところで「役割は果たした」となっているのかと勘繰ってしまう程、現場の実態を見ていない、都合の悪い点はスルーの姿勢が顕著といえます。
これは病院という患者さんやそのご家族と直接対峙する職場に勤務する私にとっては強烈なストレスであり、同時にこうしてブログを通じて訴える事しか出来ていない自身を責める大きな要因なのです。

大都市には当然多くの医療機関が集中し、それに比例して医師や看護師数も多くなって当然ですが、同時に患者の絶対数も多い訳ですから、決して十分な医療体制が整っている訳ではありません。
何より各々の医療機関の規模が大きい傾向故、仮に1ヶ所が何らかの事情で閉鎖してしまえば、入院患者の次の受入先、通院中の患者の転院先など、その対応は深刻な状況が避けられません。
勤務先を失った医師や看護師に対し、「ならば地方の慢性的人材不足の病院に勤務すれば良い」と安直には言いにくいでしょう。
医師や看護師も自分達の生活基盤が有る訳ですから、パズルを埋めるような人員配置は出来ませんし、これは入通院先を失った患者さんにも共通して明言出来る事なのです。

地方地域の病院が閉鎖してしまった際の悪影響は、時に更に深刻です。
元来医療機関の絶対数が少ない上に、各々も遠く離れている立地条件が常ですので、物理的に患者さんが通院出来なくなるケースが避けられません。
職場を失った医師や看護師に関しても、大学側が引きあげる動きを見せる事例が多く、地元の他の医療機関は人件費など経営上の問題からこうした人材の再雇用に二の足を踏みがちです。
結果慢性的な人材不足の改善には繋がらず、多くの医師や看護師が他の業種同様「大都会へ出て行ってしまう」傾向に歯止めが効いていないのです。

都道府県単位の対応に期待

それでも全てが悲観的あるいは絶望的な状況とも言い切れません。
実際に各都道府県毎に、大学、病院、あるいは医師会と連携を取り、現場に即した医師や看護師の確保に繋がるさまざまな試みが発案から実施されています。
全てが速やかな期待通りの効果に繋がっているとは明言出来ませんが、こうした積極的な試みの実施に対しては私自身も高く評価していますし、結果を踏まえて更なる改善策を次々と講じていただきたい限りです。

ちなみに具体例を挙げれば、奨学金制度の導入で医師不足、診療科不足が顕著な地域の医師確保に努めています。
こちらのサイトも参考になりますのでご覧ください。
>>先進政策バンク|全国知事会

また都心の大病院勤務では無く、あくまで地域医療の医師を志す医大生、研修医をさまざまな視点からバックアップする制度も発案されています。
更には各病院の勤務環境を調査から必要に応じて改善、更には絶対的不足が顕著な女性医師を支援するなど、医師が無用な心身の負担を覚えずに勤務出来る環境整備にも余念がありません。
緊急時の各医療機関間の連携体制の強化、各科の集約化に因る緊急時の専門医の迅速かつ柔軟な確保が可能な体制確立など、絶対数不足を現状の人数でカバーするシステム構築が試みられています。

他にも、開業セミナーなどを行い、地域での病院、医師確保に向けてコンサルティングを行っているところもあります。
歯科医師限定となりますが、歯科医を目指して開業をしたいけれど色々不安があるという人はセミナーなどを通して開業について学ぶことができます。

こうした活動が、医師不足の解消につながることを願いたいです。

国内でも医療格差はあるんです

再検証する

聴診器皆さんは「地域格差」という言葉を目や耳にされた時、真っ先に何を連想されるでしょうか?
受験生をお持ちのご両親であれば「学力や教育レベル」を、サラリーマンの方々であれば「公共交通網の充実度」を、若い世代なら「レジャー施設」など、いずれもご自身にとって切実に改善を希望されるポイントが思い浮かぶ事でしょう。
こうして次々に挙げられる地域格差の中でも、私達の健康更には生命にかかわる医療格差の問題にも、ぜひ厳しく冷静な目を向けていただければと願っています。

世界レベルの医療格差の存在に関しては、漠然とながらも多くの方々が知識として把握されています。
開発途上国の小さな子供の生命を救うべく、基金の設立から募金活動など、新聞紙上など各メディアでその活動を目にされている事でしょう。
ですがこれらは海外の窮状を訴えるものであり、私達自身が強い危機感を覚える現状だとは捉え辛いのも現実です。
「日本は世界でも極めて医療が充実した環境だ」との漠然とした認識から、有事には119番で救急車が程無く駆けつけてくれるシステムに「万一の際にも安心」というのが、大多数の国民の率直な感覚だと思われます。

有事に直面して初めて気づく現実

東京生まれ東京育ち、東京都内で20年近く働き続けた私にとって、全てが東京基準の物差しであった事は、先にお話しした通りでした。
救急車のサイレンの音を耳にしない日など皆無同然で、無意識の内にそんな緊急出動を知らせる音だけを、脳内でカットする術すら身についていました。
更に徒歩圏内に数多く点在する、大小さまざまな医療施設も当然の風景で、地元住民は「あの病院はイマイチ立ったから、今度はあっちに行ってみよう」と当たり前のような井戸端会議。
大都会暮らしの人達にとっての医療機関は「どれにしようかな」状態が「当たり前」であり、そこに何の疑問も、極めて恵まれた環境である事への感謝も見当たらなかったのです。

そんな私達一家が岡山県でも緑豊かな郊外に引っ越して来た訳ですから、それなりの事前情報を収集し、頭の中ではある程度の不便も覚悟していましたが、やはり戸惑いの連続でした。
ちなみに転入から程無く、大袈裟で無く後頭部をハンマーでぶん殴られたかの如き衝撃を喰らったのは、新居のマンションの隣室の、幼稚園児をお持ちのご両親のお話でした。
お子様の咳が止まらず前夜から熱も上がって来たとの事で、1番近く(と言ってもそれなりの距離があります)の休日診療実施を謳う医療機関を訪れたところ、こんな一言が。
「小児科医がいないので子供さんは診る事が出来ません」。

仕方無く遠方の岡山市内の病院まで運んだそうですが、この対応に私は表情と言葉を失いました。
「どこの世界に子供の急患を診察出来ない休日診療があるんだ!?そんなの診療とは言えないだろ!?」。
次第に湧き上がって来たのは、呆れ、悲しさ、そして怒りなど、全てが負の感情でしたし、何より私自身医療に携わって生計を立てている1人ですから、お隣さんへの申し訳無さと強烈な自己嫌悪、これらで胸が一杯でした。

今更語るまでも無く、全ては医師そして看護師の絶対的な人材不足、そして行政側の認識の甘さ故の現実です。
そして私が何より懸念しているのが、もしかしたら岡山で生まれ育ち、お子様を育てておられる方々にとっては「これが当たり前」だと諦めてしまわれているとすれば、あまりに不公平です。
勿論全国各地の全都道府県の医療体制を、100%同一レベルに揃える事など不可能です。
それでも「子供は診察不可の休日診療」だと、医療機関側の待機している医師が平然と言い放つ、この現状がどれだけ異常な状況なのか、他府県の国民同様に医療費を負担している私達岡山県民はキチンと理解すべきなのです。