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  2. 医療格差の問題

奨学金や助成金制度事情 国や病院への期待

奨学金や助成金制度事情 国や病院への期待

大変な努力の果てに医師免許を取得された各科の医師の方々が、大都市圏の総合病院勤務を希望される
価値感は、資本主義国家の経済社会に於いて「職業医師」を選択された以上、至極当然である理由は
先に述べた通りです。だからこそ医療の地方格差是正策とし国に期待したいのが、地方地域密着の
開業を目指す若き医師の卵への正しい啓蒙活動及び、そうした医師の方々への積極的な
奨学金あるいは助成金制度の適用なのです。

現状を冷静に分析するまでも無く、人口が閑散とした地方地域での開業あるいは病院勤務に対しては、
一個人としてはメリットよりもリスクが感じられて当然です。仮に自身の心中、自分は地方地域に
根差した医療活動に一生を捧げたいと考えていたとしても、それは自身の生活と十分な医療活動が
継続出来る環境の確保が出来てこその話です。

求人一つとっても、東京や大阪のような大都市と、私が住んでいる岡山では全く内容が違います。
医師求人サイトを確認したところ、岡山から近い大阪府の求人は286件、岡山県の求人は57件と、5倍ほどの差が開いています。(求人サイト、ドクターキャスト大阪岡山より)

さらに看護師は病院だけではなく、保育園で働くこともできます。保育士の補助や衛生管理を行うため、人によっては病院よりも働きやすい環境です。そんな保育の求人も大阪府求人数679件、岡山県97件と大きな格差が生じています。
この求人数を見て、岡山で仕事を探したいと思う人がどれほどいるでしょうか。

大都市の求人数に加え、大規模医療機関と比較して圧倒的に乏しい医療設備、努力に伴わぬ収入、有事の他の医療機関との迅速な相互連携が叶わぬ複雑な職場環境などを冷静に検証すれば、地元での就職に二の足を踏んで当然でしょう。
全国の医療環境を完全に平等に揃える事は当然不可能ですが、地方地域での医療業務への従事に対し、
何らかの公的なメリットを国側が準備する事で、僅かでも地方の医師不足を改善出来るのであれば、
実施の価値は十分だと考えています。

人材確保という問題は、漠然と人を集めるだけでは解決が難しい問題でもあり、より高度な知識や
技術を有した人材を育てられるという前提で、初めて解決の糸口が見えてきます。そのため、
教育機関や制度の充実なども求められてきます。このあたりは個人レベルでの解決が難しいため、
国や自治体に期待したい部分でしょう。

近年は専門機関を通じて、高校生が留学先で医療を学ぶことも容易になっています
海外の医療知識や技術に加えて、優れた制度や取組みを国内に導入することも、医療問題の
解決の方法として、採用すべきなのかもしれません。

病院関係者の1人として

病院の運営に携わる立ち位置の私ですので、病院経営の難しさに関しては一般の方々よりも
深い部分で色々理解している自負があります。決して保身に走るつもりこそありませんが、
単純に感情や持論に任せて「この部分をこう改善すれば良いのに」と発言し辛い点、
ご理解は求めませんが、こうした部分を差し引いて、以下をご一読いただければ幸いです。

慢性的な医師不足、看護師不足は結果、より不規則かつ過酷な勤務シフトを在職者に強いる事
に繋がります。人材が充実している大都市圏の大規模病院と比較して、圧倒的に回数が多い夜勤、
長時間勤務、更には通勤アクセスも都心部と比較すれば負のハンデが大きく、日々の負担も
大きいのが地方地域です。病院経営に於いて、どの部分に経費のウエイトを置くのか、
その最終判断は当然経営陣に委ねられますが、出来れば従来よりも更に医師や看護師の
人件費にそのウエイトをかけていただきたい、これが偽らざる本音です。対患者や地元地域への
対外的好印象を優先させるべく、建物や設備に費用を投じるのも確かに大切ですが、
患者さんの健康を守る医療行為を施すのは医師であり看護師なのです。

地方地域の場合「数有る」とは一概に言えませんが、それでも経営者からすれば
「自院に従事してくれている大切な人材」です。意味無き過剰な優遇を求める訳ではなく、
過酷が当たり前的になし崩しになっている労働環境を改善すべく、より積極的な
人材確保と魅力ある条件提示に努めていただければと願っています。

夕張市の医療破綻から学ぶこと

財政難から続いた

夕張市の財政破綻を伝えるニュース報道の画面、今もご記憶の方は少なくありません。
荒れたシャッター街と化した商店街跡、自らの生活の場を求めて流出が止まらぬ労働力世代など、残される高齢者と自らの街に背中を向ける若い世代に対し、複雑な感情が否めなかった記憶、私も鮮明に有しています。
当然の如く医療体制も崩壊し、総合病院は廃院、入通院患者は行き場を失い、医者も去って行く悪循環から「何と可哀想な地域」との印象ばかりがクローズアップされていました。
ですが果たしてこの解釈、疑いなく「その通り」なのでしょうか?

かつて私が暮らしていた東京のみならず、町医者を舞台にしたこんな笑い話、皆さんもご存知かと思います。
地域密着の小さな内科の待合室は、今日も元気一杯に映るお年寄りで大盛況で、体調を崩した小さな子供や若い世代は椅子1つすら確保出来ず。
診察が済んでも井戸端会議で動かぬ1人のおばあちゃんが「そう言えば今日は○○さんの姿が見えない」と言えばすかさず「○○さんは今日は風邪ひいて家で寝てるから来られないって」。
夕張市もそうだったとは断じて言えませんが、医療破綻の要因の1つである可能性を否定出来ない、掘り下げて検証すれば一考の余地十分な日常風景を風刺したお話なのです。

医療が無いならどう対処する?

夕張では医療破綻に因り、救急医療体制にも大きな影響が避けられませんでした。
それまで当然の如く駆けつけてくれるハズの救急車は本当に迅速に到着してくれるのか、搬送先の総合病院が無い状況、いわゆるたらい回しとはならないのか?など、住民の不安は募るばかりだったでしょう。
更には遠方への中長期的な入通院に伴うプラスアルファの負担への懸念など、当然存在していた「医療」というバックアップを失った事で浮上したリスクは、確かに数え切れぬ程でした。

ですが嘆いてばかりもいられず、この場面で求められ実践されたのが「発想の転換」だったのです。
それは極めてシンプルな「医療に頼る事が叶わないなら、医療に頼らぬ健康を各自で確保しよう」という意識の変換でした。
住民1人1人が健康に対して正しい知識を有し、積極的に健康管理に対峙する事で医療費の負担を軽減し、それが数年後にハッキリとしたプラスの効果を見せたのです。
医療費負担は激減し、死亡率も大幅に低下し、平均寿命は上昇という、夕張市民が数年前より確実に「健康な人達になった」事実を、データが明確に物語りました。

十分な通院が叶わないのであれば、看護師資格を有する人達が積極的に高齢者宅を巡回し、定期的ケアに努めました。
「国や医療機関に頼れないのであれば、自分達に出来る事を通じ、地元住民の健康維持に努力する」というシンプルな発想の転換から速やかな実践、これは素晴らしいお手本だと明言出来ます。
慢性的な医師や看護師不足、医療機関不足を訴える他の全国各地の地方地域の方々にも、ぜひ参考にしていただきたい事例として紹介させていただきました。

科による医師不足の深刻度と対策

慢性的である

バインダーを持つ医師今更申すまでもなく、医師にはそれぞれの専門分野が存在しています。
医療行為、医療施術を施すという根底こそ共通していますが、眼科医に歯科治療は出来ませんし、小児科医は外科手術の技術は持ち合わせていなくて当然です。
「慢性的な医師不足」という表現はあくまで大局的な現状を訴える表現であり、医療関係者が見落してはならないのは、もう1歩踏み込んで「どの科の医師が不足しているのか」を先ずは正確に見極める姿勢なのです。

大都市圏で大規模な総合病院が軒を連ねる環境であれば、その医療機関に足を運ぶ事で、ほぼ全ての科の医療行為が受けられます。
都市部あるいはベッドタウンと称される新興住宅地域の場合、内科、小児科、外科、産婦人科などが一定距離で計画的に点在しており、徒歩圏内で不自由なく通院出来ているケースも数多く確認されています。
しかし私が暮らす岡山県の郊外などの場合、居住場所によっては「歯医者さんまで車で数十分」的な距離感が当たり前であり、更には先にも述べた「子供の診察は不可の地元休日診療」も悲し過ぎる現状なのです。
これら早急に改善すべき現状の原因は、特定の科の医師の絶対数不足、そして特定の科の地元密着の開業医施設が見当たらないなど、紛れもない「医療地域格差」に他なりません。

非常に困難な改善

非常にドライな話になりますが、医療に携わる全ての人達はボランティア活動では無く、あくまで自らと家族が食べて行くための「職業」として、医師、看護師、病院従事者などを選択しています。
かく言う私自身も、家族を養い子供を独立させるのを現在の人生の目標として、日々医療業界に従事させていただいています。
これはすなわち、医師、看護師など全ての人達は、自身がどの医療機関で勤務するのか、どの地域で開業するのか、その選択はあくまで個人個人の自由である事実を示しています。
医師や看護師資格を交付するに際し、国側が「アナタは岡山県の○○病院の小児科医として勤務せねばならない」などと指定する権利はありません。

大変な努力と苦労の結果としての医師免許、看護師資格取得ですから、自らの医療技術と知識を全国のどの地で発揮するのか、それは当然各自の自由です。
そして多くの人達が、より医療施設が充実した総合医療機関で活躍したい、1人でも多くの患者さんの力になりたい、そして正当な対価を得たいと考えるのは、極めて当然です。
資本主義の経済社会で医療の世界で働くに際し、より大きな報酬を求め目指すのは、至極当たり前の価値感であり、それが結果として地方地域の特定の科の医師不足にも繋がっているのです。
この現実に関しては、医師や看護師に不服を唱えるのは筋違いです。

ならばこうした現状を踏まえ、果たしてどんな対策が講じられるのか、私達は知恵を振り絞らねばなりません。
限られた医師と看護師数であれば、先ず考えられるのが各科の集約化ですが、机上の理想論を現場の医療機関そして人々に強いる事は出来ません。
民間経営の病院は当然、正当な営利目的の企業体であり、不利益に繋がるリスクが懸念される動きは拒絶して当然です。
更に縮小する医療機関が存在する地元住民や自治体からの反発は避けられず、犠牲となる地域を「踏み台」「生贄」とするような改革は改善とは言えません。

今編は何とも悲観的な現状報告に終始してしまいましたが、来れが今日現在の偽らざる現実なのです。
病院勤務中は医療側の立ち位置の人間として、そしてプライベートでは喘息の子供を持つ父親として、日々「微力未満でも何か出来ないものか?」と自問自答の毎日です。