財政難から続いた
夕張市の財政破綻を伝えるニュース報道の画面、今もご記憶の方は少なくありません。
荒れたシャッター街と化した商店街跡、自らの生活の場を求めて流出が止まらぬ労働力世代など、残される高齢者と自らの街に背中を向ける若い世代に対し、複雑な感情が否めなかった記憶、私も鮮明に有しています。
当然の如く医療体制も崩壊し、総合病院は廃院、入通院患者は行き場を失い、医者も去って行く悪循環から「何と可哀想な地域」との印象ばかりがクローズアップされていました。
ですが果たしてこの解釈、疑いなく「その通り」なのでしょうか?
かつて私が暮らしていた東京のみならず、町医者を舞台にしたこんな笑い話、皆さんもご存知かと思います。
地域密着の小さな内科の待合室は、今日も元気一杯に映るお年寄りで大盛況で、体調を崩した小さな子供や若い世代は椅子1つすら確保出来ず。
診察が済んでも井戸端会議で動かぬ1人のおばあちゃんが「そう言えば今日は○○さんの姿が見えない」と言えばすかさず「○○さんは今日は風邪ひいて家で寝てるから来られないって」。
夕張市もそうだったとは断じて言えませんが、医療破綻の要因の1つである可能性を否定出来ない、掘り下げて検証すれば一考の余地十分な日常風景を風刺したお話なのです。
医療が無いならどう対処する?
夕張では医療破綻に因り、救急医療体制にも大きな影響が避けられませんでした。
それまで当然の如く駆けつけてくれるハズの救急車は本当に迅速に到着してくれるのか、搬送先の総合病院が無い状況、いわゆるたらい回しとはならないのか?など、住民の不安は募るばかりだったでしょう。
更には遠方への中長期的な入通院に伴うプラスアルファの負担への懸念など、当然存在していた「医療」というバックアップを失った事で浮上したリスクは、確かに数え切れぬ程でした。
ですが嘆いてばかりもいられず、この場面で求められ実践されたのが「発想の転換」だったのです。
それは極めてシンプルな「医療に頼る事が叶わないなら、医療に頼らぬ健康を各自で確保しよう」という意識の変換でした。
住民1人1人が健康に対して正しい知識を有し、積極的に健康管理に対峙する事で医療費の負担を軽減し、それが数年後にハッキリとしたプラスの効果を見せたのです。
医療費負担は激減し、死亡率も大幅に低下し、平均寿命は上昇という、夕張市民が数年前より確実に「健康な人達になった」事実を、データが明確に物語りました。
十分な通院が叶わないのであれば、看護師資格を有する人達が積極的に高齢者宅を巡回し、定期的ケアに努めました。
「国や医療機関に頼れないのであれば、自分達に出来る事を通じ、地元住民の健康維持に努力する」というシンプルな発想の転換から速やかな実践、これは素晴らしいお手本だと明言出来ます。
慢性的な医師や看護師不足、医療機関不足を訴える他の全国各地の地方地域の方々にも、ぜひ参考にしていただきたい事例として紹介させていただきました。