慢性的である
今更申すまでもなく、医師にはそれぞれの専門分野が存在しています。
医療行為、医療施術を施すという根底こそ共通していますが、眼科医に歯科治療は出来ませんし、小児科医は外科手術の技術は持ち合わせていなくて当然です。
「慢性的な医師不足」という表現はあくまで大局的な現状を訴える表現であり、医療関係者が見落してはならないのは、もう1歩踏み込んで「どの科の医師が不足しているのか」を先ずは正確に見極める姿勢なのです。
大都市圏で大規模な総合病院が軒を連ねる環境であれば、その医療機関に足を運ぶ事で、ほぼ全ての科の医療行為が受けられます。
都市部あるいはベッドタウンと称される新興住宅地域の場合、内科、小児科、外科、産婦人科などが一定距離で計画的に点在しており、徒歩圏内で不自由なく通院出来ているケースも数多く確認されています。
しかし私が暮らす岡山県の郊外などの場合、居住場所によっては「歯医者さんまで車で数十分」的な距離感が当たり前であり、更には先にも述べた「子供の診察は不可の地元休日診療」も悲し過ぎる現状なのです。
これら早急に改善すべき現状の原因は、特定の科の医師の絶対数不足、そして特定の科の地元密着の開業医施設が見当たらないなど、紛れもない「医療地域格差」に他なりません。
非常に困難な改善
非常にドライな話になりますが、医療に携わる全ての人達はボランティア活動では無く、あくまで自らと家族が食べて行くための「職業」として、医師、看護師、病院従事者などを選択しています。
かく言う私自身も、家族を養い子供を独立させるのを現在の人生の目標として、日々医療業界に従事させていただいています。
これはすなわち、医師、看護師など全ての人達は、自身がどの医療機関で勤務するのか、どの地域で開業するのか、その選択はあくまで個人個人の自由である事実を示しています。
医師や看護師資格を交付するに際し、国側が「アナタは岡山県の○○病院の小児科医として勤務せねばならない」などと指定する権利はありません。
大変な努力と苦労の結果としての医師免許、看護師資格取得ですから、自らの医療技術と知識を全国のどの地で発揮するのか、それは当然各自の自由です。
そして多くの人達が、より医療施設が充実した総合医療機関で活躍したい、1人でも多くの患者さんの力になりたい、そして正当な対価を得たいと考えるのは、極めて当然です。
資本主義の経済社会で医療の世界で働くに際し、より大きな報酬を求め目指すのは、至極当たり前の価値感であり、それが結果として地方地域の特定の科の医師不足にも繋がっているのです。
この現実に関しては、医師や看護師に不服を唱えるのは筋違いです。
ならばこうした現状を踏まえ、果たしてどんな対策が講じられるのか、私達は知恵を振り絞らねばなりません。
限られた医師と看護師数であれば、先ず考えられるのが各科の集約化ですが、机上の理想論を現場の医療機関そして人々に強いる事は出来ません。
民間経営の病院は当然、正当な営利目的の企業体であり、不利益に繋がるリスクが懸念される動きは拒絶して当然です。
更に縮小する医療機関が存在する地元住民や自治体からの反発は避けられず、犠牲となる地域を「踏み台」「生贄」とするような改革は改善とは言えません。
今編は何とも悲観的な現状報告に終始してしまいましたが、来れが今日現在の偽らざる現実なのです。
病院勤務中は医療側の立ち位置の人間として、そしてプライベートでは喘息の子供を持つ父親として、日々「微力未満でも何か出来ないものか?」と自問自答の毎日です。