再検証する
皆さんは「地域格差」という言葉を目や耳にされた時、真っ先に何を連想されるでしょうか?
受験生をお持ちのご両親であれば「学力や教育レベル」を、サラリーマンの方々であれば「公共交通網の充実度」を、若い世代なら「レジャー施設」など、いずれもご自身にとって切実に改善を希望されるポイントが思い浮かぶ事でしょう。
こうして次々に挙げられる地域格差の中でも、私達の健康更には生命にかかわる医療格差の問題にも、ぜひ厳しく冷静な目を向けていただければと願っています。
世界レベルの医療格差の存在に関しては、漠然とながらも多くの方々が知識として把握されています。
開発途上国の小さな子供の生命を救うべく、基金の設立から募金活動など、新聞紙上など各メディアでその活動を目にされている事でしょう。
ですがこれらは海外の窮状を訴えるものであり、私達自身が強い危機感を覚える現状だとは捉え辛いのも現実です。
「日本は世界でも極めて医療が充実した環境だ」との漠然とした認識から、有事には119番で救急車が程無く駆けつけてくれるシステムに「万一の際にも安心」というのが、大多数の国民の率直な感覚だと思われます。
有事に直面して初めて気づく現実
東京生まれ東京育ち、東京都内で20年近く働き続けた私にとって、全てが東京基準の物差しであった事は、先にお話しした通りでした。
救急車のサイレンの音を耳にしない日など皆無同然で、無意識の内にそんな緊急出動を知らせる音だけを、脳内でカットする術すら身についていました。
更に徒歩圏内に数多く点在する、大小さまざまな医療施設も当然の風景で、地元住民は「あの病院はイマイチ立ったから、今度はあっちに行ってみよう」と当たり前のような井戸端会議。
大都会暮らしの人達にとっての医療機関は「どれにしようかな」状態が「当たり前」であり、そこに何の疑問も、極めて恵まれた環境である事への感謝も見当たらなかったのです。
そんな私達一家が岡山県でも緑豊かな郊外に引っ越して来た訳ですから、それなりの事前情報を収集し、頭の中ではある程度の不便も覚悟していましたが、やはり戸惑いの連続でした。
ちなみに転入から程無く、大袈裟で無く後頭部をハンマーでぶん殴られたかの如き衝撃を喰らったのは、新居のマンションの隣室の、幼稚園児をお持ちのご両親のお話でした。
お子様の咳が止まらず前夜から熱も上がって来たとの事で、1番近く(と言ってもそれなりの距離があります)の休日診療実施を謳う医療機関を訪れたところ、こんな一言が。
「小児科医がいないので子供さんは診る事が出来ません」。
仕方無く遠方の岡山市内の病院まで運んだそうですが、この対応に私は表情と言葉を失いました。
「どこの世界に子供の急患を診察出来ない休日診療があるんだ!?そんなの診療とは言えないだろ!?」。
次第に湧き上がって来たのは、呆れ、悲しさ、そして怒りなど、全てが負の感情でしたし、何より私自身医療に携わって生計を立てている1人ですから、お隣さんへの申し訳無さと強烈な自己嫌悪、これらで胸が一杯でした。
今更語るまでも無く、全ては医師そして看護師の絶対的な人材不足、そして行政側の認識の甘さ故の現実です。
そして私が何より懸念しているのが、もしかしたら岡山で生まれ育ち、お子様を育てておられる方々にとっては「これが当たり前」だと諦めてしまわれているとすれば、あまりに不公平です。
勿論全国各地の全都道府県の医療体制を、100%同一レベルに揃える事など不可能です。
それでも「子供は診察不可の休日診療」だと、医療機関側の待機している医師が平然と言い放つ、この現状がどれだけ異常な状況なのか、他府県の国民同様に医療費を負担している私達岡山県民はキチンと理解すべきなのです。